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yamada-isak's thinking

できるだけ自分自身できちんと考えたことを書きたい。できるだけ、ね。京都から日本を、世界を考えます。

尖閣の海から立ち昇る、琉球独立の影

日本は、尖閣諸島を巡る係争で中国と台湾が共同戦線を張ることを懸念するあまり、拙速に漁業協定を結び、台湾漁船に尖閣諸島周辺海域を解放した。これに対して中国はほぼ沈黙を守っているが、一方で、この漁業協定の発効と時を同じくするように、紙上の論文や社説を通じて「沖縄の主権」についての論評を発し始めた。

尖閣諸島周辺海域の漁業」「沖縄の主権」。どう関わっているかを考えた。

日本、中国、台湾が尖閣諸島の領有権を巡って噛み合ない主張と対立を続けるなか、2013年4月10日、日本は台湾との間で漁業協定を締結し、その1ヶ月後の一昨日5月12日、協定が発効して、台湾漁船が尖閣諸島周辺海域で自由に操業できるようになった。

協定では何が合意されたのか?

1.日本と台湾が主張するEEZ排他的経済水域)が重なる水域を「法令適用除外水域」とする。これは、相互に相手の漁船とその操業に対して自国の法令を適用しない水域を意味する。つまり「無法水域」と言って良い。

2.この法令適用除外水域を、双方のEEZ主張ラインよりも少しずつ相手側に拡張する。つまり日本と台湾、どちらかのEEZとして確定している水域でも、相手を取り締まらない水域を設ける、と言うことである。これは双方が「譲歩しあった」という体裁と考えられる。

3.EEZが重なりあう法令適用除外水域の最も東南の部分(沖縄本島に近い部分)を「特別協力水域」とする。これは、日本の漁業法令を遵守することを前提に、台湾漁船の操業を認める水域である。いわば「我が家の庭で遊んでよろしい」という体裁である。そしてこの水域はマグロの好漁場として知られている。

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<msn産経ニュース/日台漁業水域の図

弱肉強食の無法地帯(=共有地の悲劇

協定に関わる水域のほとんどが無法地帯(法令適用除外水域)である。双方の漁船は自由に操業できる。操業に関する具体的なルールを協議すべく、発効を目前にした5月7日の台北市での日台漁業委員会は、何も決められずに散会した。台湾側は「ルールは操業しながら決めれば良い」とし、日本側の「ルールづくりが先決」との立場と食い違ったためだ。そのため現時点では双方ともルールに縛られず自由に操業できる。しかし、自由に操業できると言うことは「弱肉強食」と言うことでもある。そして台湾側の態度は「強者」の態度、日本側は明らかに「弱者」であることを自覚している。このままでは、尖閣諸島周辺海域は採り放題、荒らし放題の文字通り「無法地帯」となり、資源が枯渇するまで採り尽くす「共有地の悲劇」の舞台となる可能性が強い。

中台引き離しが、日本と沖縄の亀裂に

日本政府(外務省)は、この日台漁業協定を外交上の画期的な成果と自画自賛している。それは尖閣諸島を巡る中台共闘を阻止した、ということを意味するらしい。しかし中国は気にするそぶりがあまり見えない。そもそも中国は「台湾は中国の一部。尖閣諸島は台湾の一部。ゆえに尖閣諸島は中国の一部」という三段論法を建前にしている。台湾漁船が自由に操業できるということは、すなわち中国漁船が自由に操業できるということを(言葉の上では)意味する。さらに実態的にも、たとえば中国本土の漁船が台湾旗を掲げて操業する、と言った事態を抑止する手だては、日本側には乏しい。

一方で、尖閣諸島周辺海域で操業する漁船のうちで規模の小さいものは、ほとんどが沖縄(特に宮古、八重山)の船である。この海域で操業する大型の船は主にマグロはえ縄漁船である。長いロープに多数の仕掛けをつけて流し、曵く。こうした漁法が行われる海域には、小さな船、脆弱な漁具が入る余地はない。これが弱肉強食である。

こうした不安から、沖縄の漁民や行政府は早急な「ルール」の策定、検討の場への参加を求めた来た。にもかかわらず、沖縄の懸念をよそに、協定は発効したのである。

日本から離れる沖縄の心。中国の甘いささやき

頭越しの漁業協定の調印と発効。迫る初夏の漁期。ルールなき無法海域での操業につのる不安。沖縄の漁民、沖縄県民の心は、またしても日本(ヤマト)への不信に彩られることとなった。その時を見透かすかのように、中国からメッセージは発せられた。

「沖縄の帰属について議論できる時期を迎えた」「沖縄問題・琉球史の研究・討論を解放しよう」「琉球王国の復活をめざす動きを支持する」

終戦後の短期間、占領されたとは言え、自身の土地の帰属について疑問や不安を持つことは、少なくとも本州に暮らす者には無縁だろう。だから琉球・沖縄の歴史が経て来た帰属と支配にまつわる流転を、私たちは実感し難い。

終戦後や日本への復帰(1972年5月15日)前後、また米軍基地問題が深刻化するたびに繰り返し立ちのぼって来た「沖縄・琉球独立」の火に、中国は油を注ごうとしている。それは明らかであり、日本から見れば由々しき事態となろう。

しかし、沖縄の人々から見たら、どうだろうか。

米軍駐留の負担を極端に偏った形で負わされ、今また、漁業をめぐって日本の拙劣な外交施策の犠牲になっていると、多くの沖縄の人々は感じているのではないか?それを私たちは、どう受け止めるのか?

沖縄の人々による選択に委ねよ

こうした中国の狡猾な外交手法に対して、日本政府はどう対応するのか?注目しよう。沖縄の人々がもし賢明であるとすれば、日本と中国、双方の出方とやりとりを注視するだろう。これまでの外交作法から推測すれば、日本政府は「沖縄は日本の固有の領土」と主張するだろう。しかしその主張は、中国からだけでなく、沖縄の人々からも「冷笑」される恐れが多分にある。沖縄の人々は決して沖縄を「日本固有の領土」とは考えていないからだ。沖縄は「沖縄人(ウチナンチュ)の邦(くに)」なのだ。

日本は、沖縄返還交渉の過程で獲得することができた沖縄の人々の期待と信頼を、いまいちど取り戻す努力を惜しんではならない。それは尖閣諸島とその海域と引き換えにすることのできない、戦略上の死活的課題である。そしてそれは、東アジアにおける戦略的プレゼンスを、可能な限り高い費用対効果で維持したいと考えるアメリカ合衆国にとっても同様なのだ。

日本は、この東アジアの平和と安定に本気で寄与したいと念じるのであれば、沖縄の安定を確保しなくてはならない。そのためには、沖縄の人々の心を動かし、共感と信頼を勝ち取らなくてはならない。中国や合衆国の利害と打算によって、またしても沖縄の人々の心が、身体が、邦が、傷つけられることのないよう、切に念じる。しかし、当然のことだが、沖縄の未来は、沖縄の人々が選択しなければならない。私たちは、正々堂々と沖縄の人々の意志を問い、それに従うことが、最終的には求められているのだ。この一点において、日本が真に民主的な国家であるかどうかが問われるだろう。

(2013.05.12/山田章博 yamada.isak@gmail.com)