yamada-isak's thinking

できるだけ自分自身できちんと考えたことを書きたい。できるだけ、ね。京都から日本を、世界を考えます。

展覧会レヴュー:京都市美術館コレクション展「きらめきを伝える 京都・美の系譜」

展覧会タイトル:京都市美術館コレクション展「きらめきを伝える 京都・美の系譜」
webサイト:
http://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/kmma/index.html
http://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/kmma/exhibition/2016_4_fiscal_BeautyinKyoto.html
会場名:京都市美術館
所在地:京都市左京区岡崎公園
期間:2016年7月5日(火)~8月21日(日)
時間:9時~17時

以下、レビュー本文--

京都市美術館は、昭和天皇の即位を記念して、設計競技を経て昭和8年(1933)に竣工、開設された。その経緯やその後の経過、特に戦後の占領軍による接収などについては、昨春開催されたPARASOPHIA2015での展示で紹介されたので、ご覧になった方も多いだろう。
その京都市美術館は本年(2016)末から改築工事に入り、工事は平成31年(2019)後半まで続くことが予定されている。つまりその間、京都市美術館は休館となる。
一方、京都市美術館京都市と京都の文化に関わる作品を積極的に収集収蔵し、その収蔵品の展覧をコレクション展などとして継続してきた。その収蔵品展覧も本展覧会を区切りに、しばらく休止することとなる。つまり京都市美術館が所蔵する「京都美術」の名品を、今回限り、しばらく見ることができなくなる。
まず、その意味で、本展覧会は見逃したくない、と思い、足を運んだ。

京都市美術館の改修事業についてはすでに方針設定と基本設計が完了し、その概要も公表されている。それによると、地下階が新設され、この地下階が主入口となること、また現代作品を展覧する新館が現本館の北東に新築されるとのことである。
しかし、私には釈然としないものがある。
京都市美術館の最も重要な使命とは何か?京都国立博物館、国立京都近代美術館、京都文化博物館などとの役割の相違と分担はどう位置づけられるのか?具体的には、本館主要部分は改築後、どのように活用されるのか?こうした点について、改修事業資料には十分な記述がない。
はっきり書こう。京都市美術館はモネやルノワールやダリの作品をわざわざ借り受けて展覧する場所ではないだろう。京都市美術館には、こんなにも素晴らしい、世界に誇るべきコレクションがある。それは京都が愛し、育み、伝えて来た「美の精髄」なのだ。京都市美術館の役割は、近代以降の、京都が生んだ名品を収集し、常時、可能な限り体系的に展覧すること。それ以外にはない(近代以降に限定するのは、それ以前の文化財については京都国立博物館の役割と考えるためである)。

さて、今回の展覧会には約100点の名品が展示されている。その中から、私が(独断と偏見に満ちて)常設展示すべき(つまり京都における「モナリサ」「サンヴィクトワール」「ひまわり」「睡蓮」に比すべき)と思う作品について書きます。

今尾景年。その屏風が2双。
「蕉陰双鶏図(1891)」「老松群鳥図(1922)」
30年以上の隔たりを持つ作品にあらわれる、その一貫性。それは近世以前から京都の絵描きに伝えられてきた作法が、明治中期以降の近代化(西洋技術文明化)と西洋美術技法の輸入にも関わらず、今尾景年の骨肉に宿りつづけた証(あかし)だ。芭蕉と黒松。植物は徹底した様式化、象徴化によって背景化し、鶏や雀たちを生き生きと克明に描く。背景は完全に捨象する。京都が日本を代表して、近代化を超えて受け継ぐ「絵」がここにある。

竹内栖鳳「雨(1911)」
水墨の伝統の近代的昇華。後記するように、絵の伝統は主に「輪郭線」の表現とその推移に見出されるが、長谷川等伯与謝蕪村を経た水墨は、輪郭なしで、ものの実体を墨のタッチで表現する。そしてこの雨中の樹林を描く絵は、これ以外では描くことができない。まるでレンズに雨粒が付着し、蒸気で曇ったかのように、おぼろに霞む情景は、湿度の表現の極限だろう。

菊池契月「少女(1932)」
西洋の絵画は、その近代的自意識を得た時から「輪郭線」を放棄し、技法を油彩にほぼ集約してきた。何故なら、実在の視覚像には輪郭線は無く、色彩の面と面が重なり、前面が背面を凌駕し、切れ目のない色彩面の連続が世界像を構成していると認識できるからだ。しかし輪郭線を捨てた西洋絵画は、色彩面の優位の一方で、存在者が持つ「かたち」の確かさの表現力を失うことを余儀なくされた。
この絵は、その対極にある。少女を描く輪郭線は、迷い無く、限りなく確かに、少女のシルエットを、その表情を、衣服のなめらかなたゆたいを、現実にはありえない繊細さと鋭さで描き出す。その輪郭線と、それに区切り出された色面の微妙な色彩の差異が作り出すイメージは、限りなく軽やかで、確かで、かつ美しい。

秋野不矩「砂上(1936)」
砂浜に、日焼けした身体たちが、のびのびとくつろいでいる。上記の「少女」のような厳しさにも似た確かさ、と言うよりも、輪郭線その物が、なごやかに、のびやかに、くつろいでいる。砂の淡い褐色と、日焼けした肌の赤褐色を区切り、幸せな身体のかたちを描く輪郭線は、その明度と太さを自在に変化させながら、身体と砂、身体と熱い空気の境界線を、くねくねとうごめかせる。

竹内栖鳳「雄風(1940)」
二頭の虎を描き出す、自由で開かれた輪郭線。まったく写実的では無い。漫画的とさえ言ってよい。しかし、大きな猫に過ぎない虎の、やわらかくくねる身体の動きをイメージ化するのに、こんな表現以外に、何が可能なのか?と思わせるほどに、虎が動いている。うなっている。こちらへ歩み寄るかと思われる。動物が持っている「かたち」の不確かさと「存在」の確かさを、これほどまでに描き得るとは。

上村松園「晴日(1941)」
世界は光に満たされている。どこもかしこも、同じ明るさで、澄み渡っている。いつもの仕事である。庭に掛け渡した反物をピンと張る仕事。単調だけれど、繊細さを求められる仕事。しっかりと見開いた瞳。きちんとした着物の着こなし。毎日の仕事の情景が、一点の曇りもない確かさで描かれる。輪郭線は徹底して一定の明度と細さ。彼女と世界、彼女と着物、着物の部分と部分。世界のどの部分も等価であり、同じように美しい。

提案したい。
新たに生まれ変わる京都市美術館では、本館の主要部分を常設のコレクションギャラリーとしていただきたい。そして、上記の作品を含めて、京都の「絵」の伝統と革新、特に「輪郭線」の表現の多様性と(世界美術史的な)独自性、その変遷。さらにそれぞれの輪郭線表現の持つイメージ形成の効果と意味についての体系的な読み解きを、様式史や流派史ではないイメージ史として展示していただきたい。
それが、世界から京都を、日本を訪れる人々への、日本の美の伝統と歴史を知らせる最良の場になることを期待して

展覧会レヴュー:植松永次展「兎のみた空」

展覧会タイトル:植松永次展「兎のみた空」
webサイト:
http://gallery.kcua.ac.jp
http://gallery.kcua.ac.jp/exhibitions/20160611_id=8357#ja
会場名:京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)
所在地:京都市中京区御池通堀川東入る北側
期間:2016年6月11日(土)~7月31日(日)
時間:11時~19時


「子供の頃に遊んだ土の感触は、今も変わらず指先にある。私の仕事は40数年前、土の表情を見ることから始まった。」
「陶芸家の人から見たら、“何してるんや”となるし、現代アートをやってる人から見たら“陶芸やろ”となる。見に来た人も“何してんの?”という感じ。いまだに自分でも陶芸家ともアーティストとも思っていないですね。」

本展webページ「展覧会について」に引用されている植松永次の言葉だ。

それは確かに、陶芸ではない。
しかしそれは、確かに人の手と目と意識が作り出した作物(さくぶつ)だ。

一般的な「陶芸」のイメージ、または定義。
土に形を与え、焼き固めて、永続性を与えること。そのために、適した土を選び、土を捏ねて滑らかに均質化する。そこに土とは本来、関係のない作者の意図による形態を与える。

本展には、30点の作品があったが、その内の3点を除いて、他のすべてが2016年の作である。そしてそれ以前の作である3点は、上記の「陶芸」の範疇にほぼ収まる。対して2016年の作は上記の陶芸の定義に、収まらない。

まず、以前の作の3点から。
「雨水(1996)」。轆轤で引かれた黒褐色の大皿に、水が満たされている。つまり「水たまり」。まんまるのきれいな水たまり。
「挨拶(1999)」「残された穴(1999)」。いずれも、灰色の板で無造作に組み立てられた箱状の形態が、ぐずぐずと崩れて無秩序へと落ちて行く途中で、固まってしまった。

これらに対して、2016年の作は、明らかに、突き抜けている。
いくつか、典型的なものを紹介しよう。

「始めの白」「空高く」「大地」「星」「円になる時」「地表」「地表Ⅱ」
いずれも、角の丸い長方形に整形され、表面がむくったように反った薄い板なのだが、その表面のテクスチャにそれぞれ異なる表情、色、文様がある。形態を与えている意志はある。しかし表面はその意志から脱しようとしている。

「涸れ井戸」「静止」「合う」「逢う」
四角く(立方体や直方体に)荒く整形された土の塊は、まだ十分に均質ではなく、火の熱によって歪み、割れる。その「割れ」の表情に、人の意志を介さない形がある。

「森でみつけた土の形」「虹」
様々な表情を持った土の塊は、すでに十分均質に捏ねられているが、形は無造作にしか与えられていない土のモノクロームの色と質感。あるいは、無造作に棒状の形を与えられた多数の土棒の色。

「時の重なり」「堤」「森」
かなり大きな塊として掘り起こされた土。自然に堆積してできたであろう地層。人為的に、しかし意図的でなく作られた構造。そして木や草の根が絡み合い、それが熱でガス化してできた無数の空洞の迷路。土の中に閉じ込められていた形を表出し、固定する。

「収穫」「原始」
様々な、無秩序な形の土くれ。土をただ焼いただけのもの。
しかし、待てよ。
土に、形は、あるのだろうか?土のかたちって、何なんだろうか?

植松永次は、ここまで来てしまったのだ。
土には本来、形はないから、その土に、人の意志によって形を与えて、永続化させる。
それが、陶芸だった。
しかし、植松永次がたどり着いたのは「土が持つ形」の発見と永続化だ。

植松永次が、土を掘り起こし、その塊を、ホロホロほぐしたり、ハタハタたたいたりしながら、土の中に隠されている、しかし確かに土が持っている、あやうくもろい「かたち」を取り出す様が、目に浮かぶ。「なかなか、ええかたちが、でてきよった」などと笑っている。たぶん。

そして、そんな植松永次にとっての遊び場と、土と遊ぶ楽しい時間がある。そこには、まだ(もしくは、もう)、土のかたちすら、ない。

「遊園地」
床に、土が敷き詰められている。凹んだ砂場ではなく、盛り上がった土の「遊園地」。開墾した森の土か、収穫を終えた畑の土か?黒褐色の土は均一ではなく、土くれや草の根が混じっている。これが植松永次の「遊園地」なのだ。こんな土の広がりの中から、植松永次は「つちのかたち」を探し、見つけ、見つけるたびに笑うのだろう。
「遊土」
土が遊んでいるという。泥水を、バッサーと壁に投げつける。土と水が一緒になって、土は形を失うが、動き、飛び散り、軌跡を描く。運動する土、自由な土、楽しい土の時間。

確かに、これは陶芸ではない。
しかし、植松永次が取り出す(作り出す、とは言いきれない)土の「かたち」は、植松永次の手と目と意志がなければ、僕達の前に姿を表さなかったこともまた、確かなことだ。
うさぎは、穴から、空を見ている。しかし、うさぎには、土の形は見えない。うさぎにとって、土は、その前足と鼻先で掘り進むときに感じる手応えとその変化でしかない。
植松永次は、うさぎのように、穴を掘り、土にもぐることはできない。しかし、私たちは植松永次の手と目と意識を通して、土のかたちを見ることができる。ありがとう。

古橋悌二《LOVERS-永遠の恋人たち》レヴュー

祇園祭の期間中、京都芸術センターで行われた展覧会。

現代美術の保存と継承のあり方、特にそれぞれの作品の

個別具体的な展示と現動化の様態と

その作品が持つ形式を如何に切り分け、あるいは包括し

作品が持つ本質的価値を復元、継承するか?についての

重要な思考の機会であったと思います。

--review credit--

展覧会タイトル:古橋悌二《LOVERS-永遠の恋人たち》
webサイト:
http://www.kac.or.jp/
http://www.kac.or.jp/events/18969/
会場名:京都芸術センター 2階(講堂および談話室)
所在地:京都市中京区室町通錦小路上る山伏山町546
期間:2016年7月9日(土)~7月24日(日)
時間:10時~20時 ※14日(木)–16日(土)は祇園祭のため17:00閉館

以下、レビュー本文

 私は、古橋悌二とほぼ同世代(私は1959年生、古橋は1960年)だが、私はDumb Typeがその代表作(「pH」「S/N」など)を生み出していた1980年代後半から1990年代前半にかけて、その名は目や耳にしていても、彼らの活動内容を全く知らなかった。たぶん、私にとって彼らの活動や創作物は「かっこよすぎ」たのだと思う。それから20年以上を経た今日、やっと私は、気負いなくその作品と向き合えたと思う。
 今回の展覧会(および関連企画)は、1994年の初回展示(東京ヒルサイドプラザ等)以降、何度か改訂を重ねながら再演されて来た作品を、可能な限り完全な形で後世に伝えるべく、せんだいメディアテーク(2013-14年)での最後の展示をもとに修復した成果とその過程を展示する。

1.作品
 京都芸術センター講堂の約10m四方の部屋は漆黒の闇に閉ざされていた。入室した直後には、何も見えない。作品が上映されている事すら良く判らない。次第に、目が闇に慣れるに連れて、部屋の四周の壁面を左右に行き交い、止まり、動作する裸形の人物たちが認識される。
 通常、映写機で映像を壁面に投影する場合、部屋の照明は落とすけれども、スクリーンは白色である。しかしこの展示では、スクリーンとなる四周の壁面は黒いスクリーンだ。黒いスクリーンの上に投影される画像は、色彩とコントラストに乏しい。また動画画像情報そのものの解像度は低く、ピントも甘い。映し出される人体は、蜃気楼のようにおぼろで、儚く見える。
 裸の人影は、私が見た限りで最大5人が同時に現れる。男性が3体、女性が2体。それぞれ別人物の実写であることは確かなようだが、不鮮明な映像から判別は難しい。これらの人影は、四周の黒いスクリーンの上を右から左、左から右へ歩く。立ち止まる。いきなり振り向いて走り出す。人影たちはまるで無関係なように追いかけ、追い越し、すれ違いながら、時折、立ち止まる。
 これらの人影を追いかけるように、(人影の朧さと対照的に)細く鋭い垂直の光の線が左右にスクリーンをスキャンして行く。線には時折、limitやfearの文字が添えられる。それは壁面に仮構された円環状の二次元世界に住まい、動き、追いかけ、逃げ、出会い、そして抱擁し合う幾人かの人影たちが共有することを強制されている「世界線(絶対的現在時)」「行動(行為)の不可視の目標」「感情の極点(限界)」を指し示しているようだ。しかし彼らの動きを見る限り、彼らにはこの光の線は認識できていないようだ。
 さて、特筆すべき出来事は、時折、ふたつの人影が同じ場所で重なり合い、互いに抱き合う(ような仕草をする)ことだ。彼らがそれぞれに歩いて動いている限り。彼ら同士はまるで相互に感知せず、認識すらできない別の次元によって隔てられているようだ。ところが、時たま、立ち止まっているひとつの人影に別の人影が重なる時、ランダムな確率的な出来事のように、異なる次元平面間でその次元を越えて接触を許され、その希少な機会を逃すまいと、即座に、人目もはばからずに、彼らは互いに抱擁し合うのようだ。
 こうしたランダムな中にある特異性を持つ動作を繰り返す人影の中に、さらに特異な動きをする人影がひとつある。他の人影と同じように歩きながら、時たま、4つの壁面のいずれかの中央で立ち止まり、こちらを向いて、首をかしげ、十字架に張り付けられるように両腕を拡げる。垂直の光の線が彼を貫き、十字を描く水平の線分がこれに交差する。そして彼は私を抱きしめるように腕を閉じたかと思うと、スクリーン奥の奈落へと転落して行くのだ。
 種々の解説等を読む限り、この特異な人影こそ、古橋本人であるようだが、私はそのことに特段の重要性は認めない。ただ複数の人影の中に、特異な命運を担う者があることが重要なのだ。これを私は「特異な一者」と呼ぶことにする。
 この事態を言い換えよう。特異な一者を除く者たちは、自分たちが共有する円環的世界の中でだけ生きている。私たち観覧者とは無関係な世界に生きている。そこは彼らだけで自律した世界であり、私たちはその動作に働きかけることができない。
 しかし、特異な一者は、何やら私たち観覧者の存在や行為を認識し、それに感応しているようなのだ。これも種々の解説等によれば、天井に仕込まれたセンサーによって、特異な一者は上記の十字架と転落の動作を行っているらしい。そしてその際、壁面中央の手前の床に「Don't cross over the line or jump over」の文字が天井のプロジェクターから円環状に投影される。しかしその「Line」がどの線を指すのかは、定かではない。
 作品はこうしたシークエンスを繰り返しながら、明確な開始や終了を示すことなく、エンドレスに繰り返される。音響は金属的なパルスがランダムに繰り返され、そこに意味聴取不能なほど歪んだ音声が重なる。人影の動きと音響の有意な関連性は、私には感知できなかった。

2.機材タワーと観覧者
 この映像は会場の部屋の中央に置かれたタワー状のラックに設置された映写装置から壁面に投影される。5台のビデオプロジェクターが人影を、2台のスライドプロジェクターが光の線を投影する。
 全てのプロジェクターはステップモーターで駆動されるターンテーブルに載せられておりプログラミングに従って回転する。人影の歩み、走り、光の線の水平方向の動きはターンテーブルの回転によって作り出される。
 観覧者は、この映写タワーと壁面スクリーンの間に居て、観覧することになる。この観覧者の存在が、投影される作品に大きな影響をおよぼす。観覧者の身体が、投影される光束を妨げることが避けられないのだ。そして、壁面の映像を熱心に見つめている観覧者ほど、自身が投影の妨げになることに気づかない。
 また、この事実に気づいた観覧者の中には、積極的に自らの身体を投影される人影に重ねてみたり、光の線を追いかけて、自らの身体をスキャンさせてみたりする。
 「そこに立っていると、スクリーンが影になりますよ」「上手に真似ができますね」「光の線がきれいに身体通り抜けましたね」などと対話が生まれるわけではない。あまりにも暗く、そこに共存している観覧者を全く判別できないのだ。
 観覧者である私たちもまた、スクリーン上の人影たちと同様に、互いに疎遠なままなのだ。でもそこに対話(接触)が生まれる可能性は、ないわけではない。しかしそれは生まれない。事実として。
 そう、観覧者たる私たちと、スクリーン上の人影は、いわば「似たもの同士」、すれ違う者同士なのだ。

3.資料
 講堂での作品展示と共に、今回は修復作業のために用いた資料や中間成果、報告書などが別室(隣接の談話室)で展示された。
 「資料」は主に、1994年の初回展示から現在までの数度に渡る展示機会に関する文書や画像である。それらの資料を通じて読み取れることは、以下のような事情だ。
 まず、この作品は、部屋の大きさと、天井へのプロジェクターおよびセンサーの組み込みの可否によって展示形態がかなり異なることが避けられない。特に天井への組み込みができない場合は、壁面に文字情報が投影される場合があり、かなり大きく作品の印象を異なるものにする。
 また、天井への組み込みは最大8台(壁面中央4台、隅部4台)だが、壁面中央のみに組み込まれることも多く、今回の展示もその形態による。
 さらに、過去の展示に伴って書かれた解説文なども読むことができたが、いくつかを読む限り、作品の表題である「LOVERS(恋人たち)」という語句に過度に反応し、「高度資本主義、ポスト産業社会以降の現代における愛(LOVE)の存在様態」の極度に抽象化された表現として作品を読もうとする態度を多く読むことができたと思う。しかし、そうした社会状況が常態化し、それへの批判的態度が前提となっている現在、裸形の人影のぎこちない動きとランダムな出会いが表現するものは、もっと日常的な人と人の直接のコミュニケーションの可能性への不安とその希少性として一般化できるように思う。

4.ダイアグラムとシミュレーター
 この作品は、複数の映写機が投影する画像、映写装置を回転させるターンテーブル、および音響のあらかじめプログラミングされたタイムラインが正確に同期することを前提に、さらに天井のセンサーの感度と検知範囲、天井のプロジェクターの動作などがこれと協調することが必要な、非常に高い精度を要求されるインスタレーション(展示構築)である。
 これらの内、少なくとも投影装置とターンテーブルの作動と同期はこの作品の基本であることは、修復チームも強く認識しているようだ。そして、過去に実際に展示(投影)された画像の動きと、プログラミングされたタイムラインの「理想的」なシークエンスに差異があることも認識されている。
 そのことを確認し、現実と理想の差異を明確化するために、各投影映像とターンテーブルの動作のタイムラインを「現実形態」「理想形態」を比較する形で表現する「ダイアグラム」が展示されており、さらに両者を「仮想動画」として比較できるシミュレータがコンピュータ(iMac)上に構築、展示された。
 実際の展示では、私たちの視野は通常180度を超えることはないが、シミュレータによって360度の視野で作品のシークエンスが確認できることは、作品読解に新しい視野を開くものである。

5.レポート
 談話室では、この作品修復作業の過程と成果を取りまとめた「報告書」を読むことができた。報告書のバインダファイルは、談話室奥のテーブルに、過去の展示機会の記録(もしくは広報)映像を映示するビデオモニターに傍らに置かれていた。
 報告書では、過去の展示履歴を回顧し、同種の映像作品の修復事例を参照しつつ、今回の修復の条件設定と具体的な修復手法、修復された作品の極めて具体的な設置および操作要領が記されている。
 具体的には、ビデオプロジェクターやセンサー、光の線のスライドの更新、特異な一者以外の画像のデジタル化とDVD化、反面でスライドプロジェクターおよび特異な一者の画像(レーザーディスク)のフォーマット維持、各機材の設置方法、その起動およびシャットダウンの手順などである。

6.理想型とリミックスの可能性
 この作品が、ある種の妥協のもとに構成されていることは否定しがたい。
 まず、人影たちの世界は、切れ目なく連続する円環(円筒)状の二次元世界であることが理想だ。しかし現実には真円平面の円筒形の会場を確保することは困難だ。さらに、投影機材を設置するラックには通常4本の足(柱)があり、これが必然的に映像を妨げる。四角い部屋と4本の柱を持つ機材ラックは、いわば私たちの日常世界を支配している「四角」を代理表象しつつ作品を限界づける。
 もし、理想的な円筒形の展示室、それも観覧者が出入りする口すらも持たない完全に連続し閉鎖された円筒の部屋に、柱を持たない支持体に支えられた投影装置(例えばこの作品のために特別に設計製作された同軸回転式7連投影機)を整え、天井には観客一人ひとりに追従して動く数量(事実上)無制限のセンサー&プロジェクターセットを持つワイヤ駆動式の装置といった形態が考えられる。
 その際には、現在までのこの作品の素材映像では部屋の四隅部分では映像が一旦フェイドアウトするが、理想型では暗転することなく連続的に人影が動きつづけることが想定される。
 しかしこれはすでに、理想型を超えて、一種の「リミックス」であろう。新しい機材やアイデアを用いて、既存の音楽素材を再構築するリミックスと同様に、映像作品、さらに造型芸術一般における「リミックス」を構想することは、今回の「修復保存」の先にある、より積極的な姿として想像できる。
 私個人としては、芸術家がその作品の構成素材を他者に公開(譲渡)し、再構成の自由を保証(承認)することは、新しい芸術表現の可能性を開くものになると思う。

7.映像の中の世界、映像と私たち、そして私たち同士
 改めて、この作品の、そして作品修復の、私にとっての意味を整理する。
 作品を、私たち観覧者から外在的なものと前提し、観覧者の影響を度外視すれば、作品中の人影は、全ての文化的限定を剥ぎ取られた裸形であり、人間的本質を体現する者として現れる。しかし彼らは互いに不可知な次元で動き、追いつき追い越され重なり合っても、感知すらしない。しかし時折、同じ場所で立ち止まり、抱きしめ合う。コミュニケーション不全(不可能または不必要)な私たちのあり方の極端な戯画であり、本質を抽出された私たちの姿だ。
 しかし、この作品の装置的な仕掛けおよび限界は、観覧者たる私たちの関与を必然化する。センサーは否応なく私たちを追い回し、感応し、特異な一者を通じて私の注視を要求し、私を抱きとめ、奈落へともに引きずり込もうとしつつ失敗する。私たちは同時に、否応なく、また意識的に、投影される光束を遮り、作品を阻害する。
 そうして、作品に介入することを余儀なくされ、他の観覧者のふるまいに苛立ち、自分が作品を阻害していることを危惧する私たち同士は、対話することによって作品のより望ましい現動化を救うこともできると思いつつ、闇の中のシルエットに過ぎない他の観覧者に話しかけることができず、結局、スクリーン上の人影と同様に、すれ違い続けるのである。
 最後にこの修復成果が、京都市立芸術大学の崇仁移転に伴って、この作品が常時観覧できる状態で保存、展覧されることを望む。

佐々瞬個展「うたが聞こえてくる暮し(旅先と指先)」レヴュー

展覧会のレヴューです。

展覧会タイトル:佐々瞬個展「うたが聞こえてくる暮し(旅先と指先)」
webサイト:
http://artzone.jp/
http://artzone.jp/?p=2489
会場名:ARTZONE
所在地:京都市中京区河原町通三条下る一筋目東入る大黒町44 VOXビル1,2F
期間:2016年6月25日(土)~7月24日(日)
時間:平日13時~20時、土日祝12時30分~20時


以下、レビュー本文:

 佐々瞬は、役者である。現代のタレントとかエンタテイナー、アーティストなどと分不相応な呼び名で表されるそれではなく、古典的な意味での「役者」である。役者は憑依される者である。他者(実在であれ、架空であれ)の魂をその身に受け入れ、他者を演じることで世界に働きかけ、それなしには生まれない人と人の関係を創造する者である。
 今回展示された二つの作品で、佐々瞬はそれぞれ、まったく異なる役柄を演じている。

《私たちの暮らしのために》
 花森安次は、戦時中、国策広告に協力した事実を隠すことなく、戦後すぐに、企業が供給する製品を徹底して検証批判する雑誌「暮らしの手帖」を主宰した。その著者にエッセイ集「一戔五厘の旗」がある。権力の象徴としての旗ではなく、ボロ布を継ぎ合わせた庶民の旗。
 佐々瞬は、花森安次に扮する。花森の写真をもとに、カツラをかぶり、床屋で整え、花森のようにスカートをはいて扮する。
 レジデンス先の鳥取で戦中戦後を生きた婦人を尋ねる。彼女達の話を聞く。戦中の暮らし、出生兵士を見送る場面、戦後のつつましい暮らし。そして、一銭五厘の旗を作るための「はぎれ」を求める。
 はぎれには、それぞれの物語がある。その多くは母や祖母から受け継いだ着物であり、年月に色褪せ擦り切れた布は、婦人たち自身が仕立て直して枕カバーや弁当袋などに姿を変えてつかわれ続けてきた。空襲で焼けた蔵の中で蒸し焼きになった布もあった。
 佐々瞬は、いくつものはぎれを、ぎこちない手つきの針仕事で縫い合わせて旗をつくる。そしてその旗を鳥取の街のあちこちで、誇らしげに振るのだ。
 最近、現代風に改築された鳥取駅前の広場、立派なアーケードはあるが人通りがまばらな商店街。広い川原のグラウンドや堤防の上、街を見下ろす高台など。
 その後、佐々瞬はある家(佐々瞬自身のレジデンス先か?)に、旗のために布を提供してくれた婦人たちを招いて小さな人形劇を演じる。ここでは佐々瞬は、現代の無名のバイト生活に疲れ切ったフリーターに身をやつしている。旗は舞台の緞帳として吊り下げられる。
 佐々瞬の分身であり無意識でもある指人形は、灰皿(バナナケーキさん)、即席めんカップ(ビーフシチューさん)、レジ袋(歌さん)などに出会い、言葉を交わす。しかしその会話は内容に乏しく、空疎にすれ違う印象を残す。さらに、指人形の話す言葉の「...でやんす」という口調が、とぼけた非現実感を増幅させる。
 そこに空飛ぶ船が現れ、指人形に「あっちへ行かないか?」と誘う。一瞬の逡巡。しかし指人形は誘いに応じて船に乗り、「あっち」へ旅立つ。
 これを見ていた婦人たちは、劇が終わったことに気づくと、さも儀礼であるかのように拍手するのだが、そこには表現とその意味が共有できた確信は感じられない。バナナケーキやビーフシチューは、婦人たちが花森に扮して尋ねてきた佐々瞬にふるまったものであり、歌はひとりの婦人が思い出しながら歌った出征兵士を送る歌(勝って来るぞと勇ましく...)である。
 整理しよう。佐々瞬は花森安次となって、婦人たちから「布」にまつわる小さな物語を引き出す。それは佐々瞬が尋ね、布を求めることがなければ現動化することのなかった物語である。旗はそれらの物語を寄せ集め、物象化したものである。佐々瞬にとって(そしてその記録を見た私たちにとって)その旗を見ることは、それらの物語を想起することにつながり、その旗を振りかざすことは、ひとつひとつの物語に確たる存在を与える行為なのだ。
 一方、佐々瞬がそれぞれの婦人を尋ねた際の記憶が再構成されたものが指人形劇であり、その記憶は、振る舞われた食べ物や歌ってくれた歌に宿っている。しかしその記憶は断片的であり、輪郭も曖昧なのだ。そして短期のレジデンツとしてこの街に滞在する佐々瞬は、いずれどこかへ旅立って行く、通りすがりの旅人に過ぎない。
 しかし、旗は残る。確かに旗が振られた情景が残る。そして旗を形作る布の断片にまつわる物語もまた、それぞれ小さな、しかし不滅の生命を得たと言えるだろう。

ps.
 会場には、指人形劇の舞台一式と、花森安次の写真と花森に扮するために使ったカツラや衣服が姿見鏡とともに置かれている。
 指人形劇の舞台は、私に「おまえも、おまえの物語を、この舞台で演じてみろ」と誘いかけ、舞台裏に無造作に積み上げられた古い「暮らしの手帖」を手に取って開き読むように誘いかけるように感じられた。
 また、カツラや衣服、花森の写真や鏡は、私に「それを身につけ、鏡に自身の姿を映して、おまえも花森安次になれ」と誘っていた。
 しかし、私はそれらに手を触れず、眺めているだけだった。

ps2.
 会場には、旗の実物はなかった。なぜだろうか?

《あなたに話したいことがある》
 代々、畳を作ってきた藤本家である。初老の当主は、その仕事への誇りとともに、後継者となるべき息子がいないことを語る。
 しかし、娘はいる。藤本悠里子という。
 そう、この展覧会のキュレーターを務める京都造形芸術大学4回生の女子と同じ名だ。ここでは劇中の彼女を、キュレーター自身であるとする誘惑にかられるし、実際そうなのかも知れないが、確証はない。強すぎる符合があるだけだ(と考えておく)。
 劇中の彼女はスタジオで、大学構内で、畳屋の家で、代々続く伝統ある畳屋のひとり娘という立場と、芸術(アートプロデュース)の道に進みたいという自身の希望の葛藤を語る。
 そこに、旅人が現れる。サングラスをかけ、帽子をかぶった、ヒップホップなお兄ちゃんである。サングラスと帽子のために佐々瞬自身であることは確認できない。新幹線に乗って京都駅に着き、藤本畳店にやって来る。畳屋の当主、そしてその娘の話を聞くのは彼だ。
 かれはラップのミュージシャンである。機材を操り、リズムとコードをつむぎ出して行く。娘の言葉がラップのリズムに乗り始める。続いて父親の言葉も、ぎこちなくリズムに乗り始める。畳屋の従業員(そろいの黒い作業着を着た若い男性たち)の仕事の動作もリズムを刻む。
 父親の歌は「あの有名なお家元もお寺さんも、おれのお得意さん」と仕事の誇りを歌いつつ、ジャンクフード好きの一面も覗かせる。そして「お前、おれの娘の婿になるか?」と直球で聞いてきたりする。「お前たちのだれか?」ではなく単称の「おまえ?」であるから、これは従業員たちではなく、旅人に向けられた言葉と理解できる。
 一方、娘は「お父さんの気持ちは解るけど」「アートの道に進みたい」「自分の道は、
自分で決めたい」と歌う。
 これもまた、旅人が現れ、(旅人の個展のキュレーションという偶然の機会を通じて、キュレーターたる娘と旅人がその作品と展示について深く語り合う中で、)旅人が紡ぐラップのリズムに促されて、恥ずかしさもありつつ、心が開かれることで、現動化される物語の「語り」であり「詩(歌)」なのだ。
 潜在的な物語を、様々な「きっかけ」を用いて現動化し、記録する旅人、役者、美術家、音楽家。佐々瞬は、たぶん、この物語を引き出し、記録するや、またどこへともなく去って行くのだろう。

ps.
 会場の壁面には、婚姻届の用紙が、右下がりに斜めに貼ってある。そこには「藤本悠里子」の名だけが記入されている。紙面を斜めに横切って(水平に)、父親と娘が歌ったラップの歌詞が淡く印字されていた。

ps2.
 スツールではなく、畳に座って見たかった。

グイド・ヴァン・デル・ウェルヴェ個展「無為の境地」について

ほんとに久しぶりの投稿。2年半以上お休みしてました。復活します。

とても面白かった展覧会の評です。2016年3月3日(火)午後に見て来ました。

これらの作品の持つ意味や価値をまだ十分に受け止められていないとは思いますが、ぜひ多くの方に見て感じていただきたいので、会期中に評文を公開します。

本文及びPSの執筆は2016年3月8日、さきほど若干修正しました。

 

グイド・ヴァン・デル・ウェルヴェ個展「無為の境地」

http://gallery.kcua.ac.jp/exhibitions/20160220_id=7612#ja

Guido van der Werve Solo exhibition "Killing time"


京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAアクア

http://gallery.kcua.ac.jp/

2016年2月20日(土)~3月21日(月祝)
午前11時~午後7時


グイド・ヴァン・デル・ウェルヴェ(以下、グイド)は、自らその作品に作品番号をつける。今回の個展では、現在のところ17番まである彼の作品のうち、7点が展示された。1点の実写スライド写真シリーズと1点の実写スチル写真を除いて、それ以外は映像(実写動画)作品である。これらの作品には全て、グイド自身が登場する。その中で彼は、様々な行為を行う。
走る(ウルトラマラソントライアスロンなど)、歩く、立ち続ける、落下する、吊るされる、高山に登る、燃える、爆発する。これらの行為はしばしば長時間、長距離に渡る。また疲労、危険を伴う。
そして、グイドはピアノを弾く。特にショパン。そして自作の曲。ピアノ演奏にはしばしば管弦楽と合唱の伴奏が伴う。
また、彼は様々な場所でこれらの行為を行う。彼自身が暮らした場所、愛着する作曲家ゆかりの場所。極地や氷海など。
行為とその持続。音楽とその演奏。そして場所。
これらがグイドの作品の意味を構成する。

最も長く(54分)、最も総合的かつ綿密に構成された作品は第14番(2012)だろう。
ショパンとアレキサンダー大王とグイド。それぞれの生誕と遍歴。そして死(または疲労と危険)。
主調は、ショパン追悼トライアスロン
ショパンの心臓が埋葬されるポーランドの聖堂で管弦楽を伴いピアノを弾くグイド。自作のレクイエム。彼は黒いウェットスーツを着ている。川へ向かい泳ぎ始める。自転車に乗り換える。ショパンの生誕地で土を缶に詰める。ドイツを横断し自転車は走る。美しい風景。フランスに入る。次はランだ。走る。疲れてくる。疲れ切って、ショパンの心臓以外の部分が眠るパリの聖堂に着く。生誕地の土をその墓に捧げる。
このトライアスロンの合間に、マケドニア、エジプト、インドのアレクサンダー大王ゆかりの地の風景と大王がついに遠征から故郷に戻らず、バビロンで死んだという伝説だけを残し、墓も見つかっていないことが語られる。
そして、もうひとつの幕間はグイド自身の生れた病院、通った学校、育った家をめぐる旅。管弦楽がレクイエムを奏でる中、グイドが登場したかと思うと、爆発が起こり、背中で炎が燃え、クレーンで吊り上げられる。

ここに登場する行為とその効果は、同時に展示されているそれまでの作品にも、類似の断片が用いられる。
第4番では、グイドが筏の上でピアノを引き、また、フレーム外の空中から運河へ落下する。
第6番では、アパートの部屋でショパンのピアノ協奏曲を管弦楽とともに演奏する。
第13番(3つの作品からなる)では、ニューヨークのギャラリー(PS1/MoMA)から50kmほど離れたラフマニノフの墓まで走り(13a)、また12時間、約100km、フィンランドの自宅家屋のまわりを走り続ける(13c)。

危険を伴う、という意味では以下の作品も、強い関連性を持つ。
第8番では、向こうから氷海を進んでくる砕氷船の直前を、グイドが悠然と歩いている。
第9番では、白夜の北極点に24時間立ち続ける。

そして最新作、第17番。表題は「暇つぶし 1回目の試み:世界で最も深い海から最も高い山まで」
自宅の浴室で、深さ40cmの浴槽に入る動作を、マリアナ海溝の海底に到達するまで。
自宅の寝室で、高さ60cmのベッドに上がる動作を、エヴェレストの山頂に到達するまで。
同じ動作を、延々と繰り返す。
この作品のタイトルの一部「暇つぶし(killing time)」は、今回の個展のタイトルでもある。
そして第17番が「暇つぶし 1回目の試み」であるならば、それまでの作品とその行為は決して「暇つぶし」ではなかったわけだ。

たぶんグイドは、第17番より前の作品では、その行為と記録、作品の構成に、決して暇つぶし(=無駄な行為)ではない、それ以上の「意味」を付与しえていると考えていた。
ときに豊かな緑に包まれ、ときに寒々と荒涼としたヨーロッパの風景。歴史を重ね、美しく整えられた街並み。氷海、極地、高山の景観。それらは美しく、崇高で、映像として見るに値するものと考えていた。
モーツアルトショパンラフマニノフの音楽。そしてその亡命者としての運命に共感していた。グイド自身も彼らのように美しい音楽を作り奏でたかった。
マラソン、トライアスロンウルトラマラソン、そして登山。長時間をかけ、身体を酷使して克服する距離や高度。それは疲労を贖ってあまりある快楽と達成感を得られるものだった。

しかし今回、それらの愛着する行為の記録も含めて、個展のタイトルを「killing time」としたのだ。
そして最新作は、純然たる単純行為の無意味な繰り返しに収斂したかに見える。
これまでの作品も含めて、結局は「暇つぶし」に過ぎない、というのか?
グイドはもう、音楽に、風景の中に戻ることはないのだろうか?

最後に私の感想と希望を。
私は、第17番に続く「暇つぶし」をしばらく続けることを止めようとは思わない。しかし私は、美しく崇高な風景の中で、愛する音楽とともに、意味があるかに見える特別な行為を行い、それ記録したそれまでの作品に、強い愛着を覚える。グイドよ。風景の中に戻ってくる日を待っている。

ps1.
本文では触れなかったが、当然のことながら、グイドの作品を特別なものにしている重要な要因は、作品中に必ず彼自身が登場することに他ならない。絵画にも自画像はある。しかし絵画では画家は確かにカンバスのこちらにいて、絵筆を取っている。しかし、作者が登場する映像作品では(近接自画撮りを除き)、カメラのファインダーを作者が覗いてはいないことになる。カメラの位置にいるのは、作者ではなく撮影スタッフであり、それは同時に私たち鑑賞者自身なのだ。

グイドが北極点に立ち続ける24時間、カメラの位置にいる私たちは、北極点からはずれた位置で、太陽と反対方向にグイドの周りを回っている。

10分を経過してもカメラとの距離がほとんど変わらないように見える砕氷船とグイドは、私たちから何kmも離れたところにいる。事故が起こっても助けは間に合わないかもしれない。

作者自身が登場する映像作品が持つ、そうした立場の反転や不安感もまた、グイドの作品に独特の緊張感を与えている。

ps2.
第8番について。
ps1.で私は、10分の経過時間の間にもカメラに近づくように思われない砕氷船とグイドの映像について、遠くから望遠レンズを用いて撮影したと推測したが、以下のサイトに制作過程についてのインタビュー記事がある。

http://www.abc.net.au/arts/blog/arts-desk/Guido-van-der-Werve-on-thin-ice-120814/default.htm

撮影は、スノーモビルに積んだカメラと標準レンズを用いたという。理由は、望遠レンズでは「ぶれ」が甚だしいため、とのこと。ちなみに砕氷船とその前を歩くグイドの距離は約10メートルで、船に近づきすぎた場合等には船長から(おそらく無線で)合図が送られたという。
ただ、一方で彼は「多くの人が高倍率の望遠レンズを用いていると思ったようだ」とも述べている。

ps3.
第4番と第17番を除き、それ以外の作品はいずれも、ある観点から、コマーシャルフィルムの新しい形式を提示しているようにも見える。

第6番はスタインウェイ者のピアノバンク(演奏家に理想のピアノを貸し出す制度)。コピーを付けるとすれば「あなたも、あなたのお部屋でコンサートを開くことができるかも知れません。」

第8番は氷海を歩く旅。第9番は北極点への旅。冒険的なツーリズムへの誘い。「砕氷船を従えて氷海を歩くという、荘厳な体験を。」「北極の白夜を体験するなら、北極点での24時間を。」

第13番のa。ラフマニノフ作品のCD。「その墓地まで走って花を届けたくなるほどの感動。」

第13番のb。アコンカグア峰への登山旅行。「エベレストより安全で、同じほどの感動。」

第13番のc。フィンランドの田園の住宅。「朝から晩まで、お家の周りを走っていたくなるほど、素敵。」

第14番。トライアスロン用品(スイムスーツ、自転車とヘルメット、ランニングシューズなど)。「トライアスロンは、ただのスポーツではない。それは究極の旅。そのための最良のツール。」

ODAとの対比で考える/住民参加プロセスの確立のために

Huffington Post Japan/2013年6月2日付け記事

TICAD V:モザンビークの人々から安倍首相に手渡された驚くべき公開書簡

http://www.huffingtonpost.jp/maiko-morishita/ticad-v_b_3373974.html

この記事に関連して「住民参加プロセス」について、このODA案件と参考に、国内での公共事業や大規模開発などを念頭に考えてみました。

私は上記記事の内容には概ね賛同しますが、公開書簡原文をはじめ、基礎資料への参照などが不十分だと感じましたので、PROSAVANA計画について、少し調べてみました。

2010年3月18日「日本農業新聞」に、JICAシンポジウムで本件の報告について記事があるそうです。そしてこの記事内容についてのコメントとプロジェクトへの懸念が以下に提起されています。
日本 モザンビーク農業開発協力を本格化 アフリカ農地争奪戦で一角確保?

それまで公開されていなかった本件マスタープラン暫定版のリークがあり、2013年4月29日付けで、その内容についての批判が以下に掲載されました。
Leaked ProSAVANA Master Plan confirms worst fears

また、日本でも本件に関心を寄せるNGOが専門家によるマスタープラン分析と問題提起を2013年5月12日に公表しています。
【分析】ProSAVANAマスタープラン暫定案に関する専門家分析と問題提起

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ask me!京都/リスタートへのマニフェスト2013.05.29

前のエントリーから1週間、空いてしまいました。

今日は私自身が考えている(でも、動けていない)プロジェクトについてです。

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昨年(2012年)の3月のある朝、眠りと覚醒のはざまで、ふと思いついたアイデア。
ask me!京都と呼んでいます。

f:id:yamada-isak:20130529161829j:plain

これを立ち上げ、成長・拡散させ、この社会と世界を変えたい。そう思っているのですが、まだちゃんと動けていません。まだ私自身の中で、この仕組みが動く社会のイメージが十分に具体的になっていないのです。昨年夏に試作品を作り、今年(2013年)に入って新しいバッジとカードも作りました。幾人かの方にはご登録もいただきましたが、スタートしたと呼べる状態ではありません。その間、如何にしてスタートアップするか、また成長させるかなど、いろいろ考えて来ましたが、ようやく考えがまとまりそうです。
今日は、この仕組みを現実のものにするために、考えをまとめたいと思います。
これはいわば、ask me!京都のリスタートためのマニフェストです。

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